自称コラムニストがズバリ言うわよ!!

日常生活の中の出来事を頑張って面白く書きたい!!

学校は農耕民族の集団

前職で「なんだかな」と思ったことを書きます。

(ほかにネタが無いので)

 

今回も同期についてです。

同じ工場勤務になった人たちに顕著に見受けられた性格的な傾向の話です。彼らは人間関係を築くとき、相手と自分のどちらが上の立場の人間か、ということを意識する傾向がありました。

例えば、研修中のグループワーク。グループワークでは意見を出す人、意見を纏める人、時間を測る人、発表する人など、様々な役割を持った人間がいますよね。同期では「リーダーになりたい!!」と強く願望している人が一定数いました。実際にそのように言及していたわけではないので私の勝手な憶測ということにもなりますが、「○○やれ」とか「□□じゃないの?」とやたら高圧的な話し方をしたがることから考えても、やはりそうだと思います。

 

そこで、彼らの行動から改めて考えることは、「リーダーって何だろう?」という問題です。

 

リーダーっていう言葉は、改めて考えると不思議なものだと思います。

皆さんご存知の通り、リーダーは「lead(リード)する者」という意味ですね。leadには、誘導するとか、導くという意味があります。

日本人の想定するリーダーと、英語圏の人の想定するリーダーとでは、解釈に違いがあるのかなとか思います。というのも、遊牧民族では確かに先頭を走り団体を誘導するリーダーが必要ですが、日本のような農耕民族は戦争でも起きない限り日常生活でそのようなリーダーは必要ありません(多分)。確かに、遊牧民族のリーダーと農耕民族の村長は「集団の動かし方について決定権を持っている」という意味では同じかもしれませんが、求められていることと、決定権の種類が違います。

遊牧民族は居住地や獲物の変動が激しいです。そのため、変化に対応することが求められます。一方、農耕民族は変化は激しくないです。変化が起きにくい集団の中では人間は秩序を維持しようとする傾向があります。つまり、積極的に現状維持を行おうとするということです。

この両者の違いは、人間の組織が外交的か内向的かという違いもあると思います。遊牧民族のような組織は、外の世界の変化をできるだけ迅速に察知しないといけないという意味で外交的です。一方、農耕民族のような組織は、組織の一員が現在の組織のありかたを破壊しないように組織内のメンバーを監視しようと思うという意味で、内向的です。

 

同期が高圧的な話し方をしたがるという話を先ほどしました。

その人たちは「自分たちが最年長だからみんなを引っ張っていかないと」というような話もしていました。その考えから高圧的な態度になってしまうのは、彼らの中で「リーダー=農耕民族の長」という方程式が暗黙のうちに構築されているからではないかなと思います。農耕民族の集団の中で持つ権力と言うのは、組織内の弱い者を押さえつける力を持つということを意味しますから。

 

 

私は農耕民族的なリーダーというものをあまり好みません。

 

こういう立場の人たちはある種の必然性から生まれたものでもあるので、否定まではしません。しかし、個人的に付き合うことを考えたときに、人間らしさを持ち合わせていない人間のように思うのです。

よく「暖かい人間」「冷酷な人間」という表現を耳にしますが、私は両者は非常に似ていると思います。というのも、暖かくなるのも、逆に冷酷になるのも、自分の中で思考に軸があり、それを下に決断した結果だからです。

農耕民族的なリーダーは、暖かさも冷酷さも持ち合わせていないのではないかと思う瞬間があります。組織の意思と自分の意思の境目が分からなくなり、組織という大義名分さえあれば、自分自身の感情や良心といったものを感じることもなく、どんなことでもやってしまう可能性があるからです。

 

同期の彼らは、私が実際に彼らと会話した中で感じたことですが、IQがひk…じゃなくて、不器用なところがあるだけで魂の位まで低い人間だとは思いませんでした。

 

そのため、勿体ないなと思いました。

 

私たちは成人するまでの間、家庭や学校といった所属している組織の中で、親や教師といった目上の者には絶対に逆らわないことなど、農耕民族的な理想の組織の在り方を押し付けられます。宗教的だと思います。宗教というのは認識の仕方そのものなので。あまりにも当たり前すぎて、よほどのきっかけに直面した人でない限り、その常識が限定された世界でしか通用しないことに気付かずに一生を終えていくでしょう。客観視できないということは、心が不自由なことですから。

(最近では怪しいところも増えてきましたが)日本の昔ながらの大企業のように社員が優秀じゃなくても定期的なお金が入ってくるような組織ならとにかく、会社というのはどちらかと言うと狩猟民族の組織です。外の世界の変化を察知して、それぞれがそれぞれの役割を遂行して、変化に対応していかなければなりません。いざ自分がそのような組織で働く状況になった時に学校の常識に染まっていると、思考回路に足かせをつけられた状態での徒競走になってしまいます。

 

ちょっと気付けばもっともっとうまくやれるのに、勿体ないなと思います。