自称コラムニストがズバリ言うわよ!!

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キケンな本音~やりがいについて

これから書く本音はキケンです。

覚悟を持って読むか、あるいは読まないでください。
具体的にこの記事を読んではいけないタイプの人間は、モチベーションを下げられたくない人です。
言葉って言うものは凄いもので、こういうマイナス思考の記事を読んでしまうとポジティブ思考がこちら側に流されてしまうおそれがあります。言霊とでも言うんでしょうかね。「こちらがわに来ると良いことがあるよ」っていうことが明言できる内容ならとにかく、読んでいるだけで運気が下がりそうな暗い話をするので、闇に落ちたくない方は読まないでください。

ここまで書いておいたので、あとは読んで気持ちが落ちようがそれはあなたの責任です。

では、本題に入ります。



仕事に「やりがい」は本当に必要なのか

結論から言うと、私個人としては必要無いと思います。
ここで、私の独特な仕事観から説明します。人間の心理構造上、「仕事で満足する」ということは以下のようなステップを踏んでいくことであると思っています。

①安定した収入
②人間関係
③やりたいことができる

仕事を通じて幸せを得るためには①が絶対条件、そして②はあったら素晴らしい。③?知らんがな、と言う感じです。

私が思うに、仕事について「やりがい」が問題になるケースというのは①が満たされている人です。具体的には、衣食住にかかる生活費を削るように意識をしなくても、貯金ができてしまうレベルの経済状態の人だと思っています。要するに、生活に余裕ができてそこで初めて「やりがい」という言葉が問題になってくるのだと思います。
逆に、①が満たされていないと、人は何がなんでも安定を求めるようになります。特に、一度「不安定」を知ってしまった人間は反動のようにより強固な安定を求めるようになります。激務でもなんでも安定さえしていれば「仕事ありがとう」と感謝しかしなくなります。不思議ですけど、人間の心理ってそんなもんです(多分)。

つまり、「やりがい」というのは、それについて不満を感じている時点である程度は満たされているので現状を変えなくても生死に関わる問題ではない、ということです。

中には「なんのためにしている仕事なのか分からなくなった」という不満を抱えている人もいると思います。(こういう問題を「やりがい」と考える人もるし、それも妥当だとは思いますが、当記事の中では「やりたいことをやる」という考えを「やりがい」と呼んでいます)
個人的には、それは②の問題であると思います。つまり、人間関係の問題。仕事内容自体の問題ではないと私は睨んでいます。
というのも、「本質的に意味のある仕事なのか否か」っていうのは判断のしようがないんですよ。というか、厳密には、評価方法によっていくらでも変わってしまいます。
例えば雨ごい。あんなのってやったところで雨が降るわけではないですけど、「雨ごいには雨を降らせる効果がある」って認識を共有している社会の中であったらそれはとても意味があるように感じられますよね。「意味のあるない」なんて問題は周囲の環境によっていくらでも変わってしまいます。っていうか、絶対の評価を下すことができる存在なんて神様以外の何物でもありません。「意味があるない」の問題って、本質的には意味が無いんです。個人の中では非常に大きな意味を持つんですが…
やはり「意味のない」と自分が思ってしまうような環境って、経済的には満たされていても心の栄養は満たされていないんですよね。解決には、必ずしも環境を変える必要も無いと思います。
解決策の一つとして、自分で調整できるようにプライベートな環境を整えることもあります。例えば、家庭を築くこと。私自身、ペットを飼ったり家庭を持つことに生理的な嫌悪感を抱いていましたが、そういった環境をプライベートの空間に構築するだけでも自分の中での「仕事をしている意味」というものを見出すことができますよね。家庭を持つことはリスキーなので、友達と遊ぶでも海外旅行でもグルメでもなんでもいいです。仕事に対する客観的な意味づけが不可能な場合、個人の中で意味づけをしてしまえばいいんです。コツさえ掴めば簡単なものです。(それができないほど環境がマイナス要素をもたらすのであれば、それは職場を変えたほうがいいかもしれないですけど…)

まあ、以上のような物質的、精神的な栄養が満たされているならば、「やりがい」なんてスパイスはあえて求める必要はありません。

仮にやりたいことをやったとしても、それが金にならなければ肉体が滅びるし、評価される環境にいなければ無意味に感じてしまうし、ねえ。偶然「やりたいこと=評価されること」という方程式が成り立つ環境にいる人もいるんでしょうけど、別にこんな方程式は幸せのためには必要ではありません。

つまり、要するに、「不自由しない給料」と「認めてもらえる環境」の二つのカードが揃えば人間は幸せになれるということです。
いくら他人に迷惑をかけていようが、いくら社会に一ミリの影響も及ぼさないような業務をやっていようが、この二つが揃ったときに人って幸せになれるものです。

そこそこの給料で、その職場から求められることができてしまえば、「やりがい」なんてものホント要らないです。